あゝ、愛しきわが人生

自分の人生が心底愛おしいと思えたら、この上なく幸せだ。何でも面白がって笑ってやろうぜ!

断捨離、物の整理における私の臨界点

ブログのタイトルを少し前からというかだいぶ前から変えたいな~と思っていて、

ふと最近「生きる」に変えようかな、と思ったの。それとか「vive la vie」とか。

だって、婚活のことも妊活も子育てのこと、生活全般のこと、心のこと。

ま、好きなこと、思ったこと、経験して伝えたいことを書き綴ったら結局は、全部「生きる」ことにつながるというか。(当たり前かw)

 

ま、生きてるからこそ、今があるんだから、当たり前すぎて、アホっぽいかもだけどw

まあ、いいや。

 

 

読んだら、少しでも気が楽になったり、あるいはホッとしたりできるような、そんなブログを続けていけたら楽しいよね。

 

 

 

最近すぐに忘れてしまうから、書いてみた。

 

 

 

で、

 

今朝も早くから起きて、考えていたこと。

 

 

物の整理や、片付けについて。

 

ふと、何が私初めの臨界点だったかな?

これから先は、どこが突破口になるかな?ということを考えていた。

 

 

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私は片付けや物の整理が、苦手で、本当に嫌い。ってことに結婚をしてから気がついて、

 

だからこそ、あまり物を持ちたくないってところに行き着いて早数年。

 

今度、機会があったら写真でも載せたい(←載せるのはまだ勇気がいるけどここも乗り越えたい)

まだまだ減らしたいんだけど、いろんな段階を踏んでいて。

 

 

 

 

 

 

初めての臨界点はきっと、私の「靴」だった。

特に「靴箱」。

 

 

 

私がなぜ  物を減らそう、少なくしよう、と思ったかはまた長くなるので、やる気が出たら違う時に書くけど、それはちょうど10年前の2009年あたり。

 

 

それから5年後の 2014年の結婚を機に、こんまりさんの本に刺激されて物の整理をしたつもりでいて。

 

 

しかし 私は靴が大好きで、結婚前に少しは処分して、それでも家に持ち込んだ靴が、30足くらいはあったと思う。

しかもすべて「靴箱付き」で。

 

 

 

もちろん入りきらないから洋服と一緒にしまっていて、しばらくそれで生活していたのだけど、忘れもしないある春の日。

確かあれは2015年。

 

ある時家の中でボーッとその靴箱を眺めていたんだよね。

 

 

プラの靴箱でも買って、スリムにした方がいいんじゃないか。

でも、靴箱捨てるとか、考えられない。

明らかにかさばってるのに、なぜ 私は靴箱に入れて靴を保管したいのだろう。

 

あれ?なんで私、靴箱捨てるのやなんだろう。

 

 

その時にわかったんだよね。

 

 

 

私が靴箱を置いておきたいのは、

友達とかが もし家に来た時に ちらっとその靴箱たちを見て、「あ、絢子はこんなにいい靴をたくさん持ってるんだ」って思われたいだけなんじゃないかって。

 

 

「こんなに靴にお金をかけてるんだ。」って思われたいだけなんじゃないかって。

 

 

 

いつ来るかわからない友達のために。。。。。。(てか前の家の時は誰も来たためししもなかったw)

 

 

 

ちょっと私、どんだけ、見栄はりさん?

あーた、どんだけバカなの?

 

 

 

自分の中の、認めたくない側面を認めた瞬間だったよね。

 

 

 

 

数日悩んで、プラ箱を買った。

 

 

入れ替えたら今度は、もちろん靴箱を捨てなきゃいけない。

 

 

ただの紙の箱にプリントしてあるだけなのに、人間とは、私とは、なんて愚かで滑稽な生き物なのでしょう。

 

 

 

あー、靴箱のヘリを、ビリビリと破くの、、、つらい。。

でも、やってしまえ~~~~~~。

 

 

 

あれだけ大事にしていた靴箱たちを

私は破いたまとめてダンボールとともにゴミに出した。

 

 

 

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正直、今でも靴箱を破る瞬間は、ううっ。と思うことがあるのだけど(←かわいいでしょ^^)、この時は、本当に靴箱を破るまで時間がかかった。

 

 

 

 

でも、それがなんだか私を吹っ切れさせたんだよね。

 

 

 

「あ、なんだ平気じゃん。」

 

 

てか死ぬわけでもないのに、一体何を悩んでいたんだろう。みたいな。

 

 

 

 

 

そして、次の臨界点は、一昨年子供が生まれる前に整理した本たちの中の「辞書」でした。

これもなかなか捨てられなくて。

英語の辞書、フランス語の辞書。

当時やってた講座を受講してくれてた人たちに相談したレベルw

そしてら口々に「私も辞書捨てましたけど全く問題ないですよ。」との返事が。。

 

 

 

おかげで捨てたら、すっきりしたもんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、その中で一つ、どうしても捨てられないものがあったの。

 

それは私の持っているデンマーク語の辞書。

 

それも、デンマーク語⇆日本語 ではなく、

デンマーク語⇆英語(dansk ⇆ engelsk) の辞書。

 

 

あの、真っ赤な辞書がずっと捨てられなくて、クローゼットに入っている。

 

 

 

でね、今朝ふと思ったのよ。

 

 

 

あ、私の次の臨界点はこのデンマーク語の辞書だ、って。

 

 

 

 

 

靴箱の時以上に、これは、グッとくるものがある。

私の人生観がガラッと変わったあの16歳の時の1年。

きっと今の私の基盤を作ったであろうあの時の唯一の思い出の品。

(今、書いてて涙が出てきたw)

 

 

あ、これ超えたら私、また自分の中の何かが変わるだろうな。

 

という予感がした。

 

 

 

でもこうやって書いてて思った。

 

 

 

その時の思い出は、色あせないし、

今でもデンマークのホストマザーだった人と連絡とったりしてるし、

思い出の品がなくても私は「今」でもその時と繋がってるんだよね。

 

 

 

他人から見たらどーでもいい、このしょーもない、薄汚い辞書。

あの時私の人生が変わったように、この辞書でまた、変わるかもしれない。

 

 

 

なんつー大げさな。

 

 

 

でも、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

こうやって、段階を得て臨界点を迎えるんだよね。

10年前の私が聞いたらびっくりする。

 

 

 

でも、あの時の「靴箱」がなければ、ここには至れない。

 

 

 

こんな些細なことでも、

他人から見たらガラクタ同然のものでも、

私にとったらそれは タカラモノ に映ってるのだ。

 

 

 

こうやって少しずつ、「こだわり」を捨てて、私ももっと「自由」になりたい。