あゝ、愛しきわが人生

自分の人生が心底愛おしいと思えたら、この上なく幸せだ。そんな人生を愛するヒントを書き綴る。そして人生を楽しくしたい人に贈る。めんどくさいのはヤメ!何でも面白がって笑ってやろう!時々婚活応援も!

【@デンマーク】16歳で初めて感じた孤独

1993年の8月。

 

ついに憧れていた海外での高校生活実現のため、デンマークに上陸した私。

 

 

 

ざっくりのびっくりはこっちにも書いてあるよ!

hisamatsuaya.hatenablog.jp

 

 

前回までのお話はこちら

【あや16歳@デンマーク】初めて感じた「日本人」という立場 -

 

 

 

 

数日間の合宿の研修を経て、

 私はホストファミリーの家に滞在し始める。

 

私が住んできたのは、アンデルセンが生まれた町OdenseがあるFyn島と言う島。

大きさ的には約3000 km²くらいしかない。

その中のOdenseより少し南に位置するGislevという村にいた。

 

確かこの村の人口は。3000人だったと思う。

私の日本で通ってた高校が、生徒数1300人。

 

 

家族構成は、

33歳のホストファーザー、

30歳のホストマザー、

9歳の娘/ホストシスター、

5歳の息子/ホストブラザー。

 

この頃、高校生の頃の私は、当然自分にも自信もなかったし、行くのは楽しいんだけど、いわゆる「どうせ私なんか」な子だった。

 

この時も、一番田舎に配属され、都会の高校に通う子が羨ましかった。

コペンハーゲンに住んでる子が羨ましかった。

 

 

 

デンマークの学校制度

 

日本で言うところの小学校1年生から中学3年生までの9年間が、一つの学校で、

その後、高校とか、専門学校とかに進む。といった感じだった。

 

そして、私が行くことになったのは9年生のクラスだった。

 

だから当時16歳の私は、ホストシスター(9歳)が通う学校の15歳の子が通う9年生に入った。

 

クラスメートも私を含めて人。

 

 な、な、な、7人って??

7人って、何人なんだ?って思わず確認したくらいに、びっくりした。

もう、感覚が学校に通う。っていうより、近所の塾に通うようなそんな感覚でしかないよね。

 

 

 

 

私の日本で生まれ育った環境はとても厳しく、実家では、お泊まり禁止、何なら実は、18歳で実家をでるまでずっと門限は18時の家だった。

高校生の時もお小遣いも550円(日割りね。てかバス代。)。毎朝、渡されたのだ。

その上、もちろんバイト禁止。

お金は基本欲しい時にはもらえるんだけど、用途をきちんと言わないとダメだったから、通学中は550円。だったんだよね。

 

だから、最初デンマークに着いた時にお金を郵便局に入れに行ったのね。

その時に、いくら引き落として良いか本当に分からなくて、ホストファーザーに「一般的にはどれくらいのお金を1日持っていた方が良いですか?」って真面目に聞いたことを今でも覚えてる。

その時に、「そんなの自分の使う分だけ下ろせば良いから、僕に聞かれてもわからないよ!」って話で。

今思えば、そりゃそうだ。って話なんだけど。

この時に、私は親がいないと、お金をいくら手元に持っていてれば良いのかすらも分からないんだな。って、軽くショックを受けたことを覚えている。

 

 

そんな私は、デンマークでやっと親から自由になれたし、

「ハイスクールライフ♡」的なものに憧れていた。

私は中学生の時にビバリーヒルズ高校白書流行ってた世代。

書いてて思ったが、邦画だと怒られるけど、洋画だとなぜか怒られなかったと言う、ある意味偏った環境にいたので、このドラマは同級生にビデオ借りては見ていた!

 

 

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なのに、なんで、私だけ高校じゃないの?

私は都会に憧れていたのに、前よりも田舎じゃん!

 

 

このころの私は昔から「私はくじ運が悪い。」と思っていた。

そう、私ばっかり損している。

これは、小さい頃からこの思考になっていて、幼稚園児の時からいつも「私ばっかり。」って思ってた。

 

だから、「損している」現実の中で生きていた。

 

 

 

そして、このデンマークで滞在することになった家庭では、

 

家に、レンジもない!

食事も質素!

家に行く途中の道路には鶏が歩いてるし、危ないじゃないか!なんてところなんだ。

(自転車で轢きそうになるくらいいっぱいいる。)

夏になると、牛の匂いで村中が覆われる。

蠅取り紙が、食卓の天井からぶら下がっている。

 

 

本当にありえないんですけど!

 

今思えば、この時の暮らしは、本当に素晴らしい暮らしだったのだが、それに気がつくのに、私は半年かかった。

でも、言い換えれば半年で気づくことができたのだけど。

 

 

 

しかしステイした当初は、

 

なんでこんな田舎なんだ。

私の憧れのハイスクールライフはどこに行ったんだーーー!

 

そのうち、こんなことも思うようになる。

こんな私みたいなアジア人が家にいて、この人たち気持ち悪いと思わないの?

この人たち本当に大丈夫なの?

 (もう、人のことまでをも悪く言うこの精神w ひどいね。)

 

 

私は今思うと、愛を受け取れない状態だったんだな。

 

 

 

そんな、文句、不満、タラタラの16歳の私に、さらなる悲劇が。

 

ある晩、夜布団で寝てたら、「ブ~~~ン」って音が。

 

え?何???と思った瞬間、足にチクリ。と何かが刺さったのがわかった。

 

痛いっ。

 

お布団の中に蜂が紛れ込んでいたのだ。

 

何で、布団の中に蜂がいるんだよーーーーー!なんて環境なんだよーーーーー!

 

夜中に刺され、痛くて私は泣いた。

 

 

 

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頭の中には虎舞竜の「なんでもないようなことが~、幸せだったと思う~」がなんどもリフレイン。

 

あー、なんで私こんなところにいるんだろ。

 

日本だったらこんなこと絶対にないのに、

なんで布団に蜂がいるようなところに私は住まなきゃいけないんだよ~~~~!

 

 

 

 

そして、いつも曇り空のデンマークのお天気も手伝ってか、

私は完全にホームシックにかかり、これをきっかけによく泣くようになった。

 

デンマークに滞在して3ヶ月くらいは、生理も全く来なかった。

 

ニキビもほとんど出来たことがなかったのに、額はニキビだらけになり、体重も増えていった。

 

ブラジャーがきつくなり、ブラジャーとジーパンの間に肉が挟まるのを感じた。

 

憧れのセブンティーン(17歳)になる前に、どんどん醜くなっていく。私。

 

白い洋服もピンク色になって仕上がってくるし、

 切りっぱなしのパンツも、毎回、ミシンで綺麗にほつれ直してくるし(若い頃はそれがかっこいいと思ってたからねw)

 

そんなんこと頼んでなーーーーい!

 

なんなんだここはーーーーーー!

 

 

 

でも、まだ1年もいなきゃいけない。

本当にどうしよう。

いやだ。いやだ。いやだ!

 

 

 

不満タラタラ思考の16歳の私は、困惑だらけだった。

 

あんなに海外に行きたかったのに、現実は思い描いていたことと違う

こんなのじゃなかったはずだったのに。

 

 

 

このころは、PCもなければ、skypeもない。

しかもステイ先にはfaxもないから、誰とも連絡取れない。

 

 

そんな私の唯一の拠り所は、日本の友人からくる手紙だけだった。

 

 

 

次の話は、、【@デンマーク】やっぱり日本が好きだ。と感じた瞬間。

 

 

 ※話はすべて1993年〜94年の16歳の私の記憶です。現状のデンマークとは異なることがあるかもしれないからね〜。

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