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あゝ、愛しきわが人生

自分の人生が心底愛おしいと思えたら、この上なく幸せだ。そんな人生を愛するヒントを書き綴る。そして人生を楽しくしたい人に贈る。めんどくさいのはヤメ!何でも面白がって笑ってやろう!時々婚活応援も!

【久松あやができるまで】27~28歳・フランス編・人生が大きく動き出した時

半年で帰る予定だったフランス留学。

 

気がつけば、パリに住み始めていた。

1年も経とうとする頃に、こんなことがあった。

参照(27歳・親にもまだ言えてない衝撃的な事件

 

【久松あやができるまで】前回までのお話

幼少期編

小学生編

★ 小学生後編

★  中学生編

★ 高校生1年生編

★ 高校生2年生・留学先決定編!

高校生・デンマーク編

高校生・留年

短大生編

短大生編・衝撃的な人々・P子編 

短大生編・衝撃的な人々・W美編 

専門学校編・自信のない私 

初めての社会人編 

 25歳・進路迷い時期編  

26歳・ドキドキのフランス生活・初日 

26歳・フランスで出逢った衝撃的な人々  

27歳・親にもまだ言えてない衝撃的な事件

27~28歳・人生が大きく動き出した時 ←今ココ!

28歳・初めて自分の成長を感じた日

29~30歳・頂点からどん底へ。

32歳・結局私に残ったものは。

【もはや伝説】28~32歳・ベルギーでこんなこと言われてました!

32~36歳・実家暮らし編/どこにいても私の存在は変わらない

 

 

 

 

そしてこの後は、この直前に知り合いになった共通の日本人の知り合いに紹介してもらった人の家に同居することになる。

パリ3区。ポンピドゥーセンターまで歩いて20分くらいのところ。とても良いところだった。

家賃も払わなくていいっていうし、ラッキー。

 

 

そして、この間に「自分」とは何か。

自分の限界を自分で決めないこと。を学ぶのである。

 

 

ことの発端は、現地で知りった、アパレル会社を経営する人の手伝いをしていることからだった。

 

 

ある時頼まれごとをして「できなければ良いけど、やってみて。」と言われた。

それまで「諦め脳」がインストールされていた私は、ちょっとやって、「できない。」とはっきり言った。

 

そしたらこう返された。

 

「人間にできないことなんてない。かの有名なナポレオンも”impossible n’est pas français(インポッシブル(不可能)という言葉はフランス語ではない=不可能という文字は私の辞書にない。と意訳されてるアレです。)”と言ってるように、不可能なことなんてない。自分が決めつけてるだけで、できないわけがない。

 

この時は、「なら最初から、できない時は言ってくれーー!って言うなーーー!」と思ったが、こんなことを言われたのが初めてだったので、とても心に刺さった。

確かに、なんで「できない」って思い込んでいるのだろう。私。

 

 

そんな私に追い討ちをかける出来事があった。

 

ある時、文化庁派遣でスペインに留学していた建築学科の友人が遊びに来たことだった。

彼女の経歴は華やかで、デンマークに行った時に一緒にいた中の一人で、なぜか私と彼女はとても仲良くなり、今でも連絡を取り合っている。そしてこの友人、「優秀」を絵に書いたような人物だった。

 

彼女に私はこんな話をした。

 

「ある日家に鯖があって、夕飯鯖なんだ。と思って楽しみにしていたら、「すぐに調理できるようにさばいといて」って言われて、人生初めて魚をさばいたよ。もう、目があうの怖くてさ~。でも、なんとか全部出来て、これで一つできることが増えた~。フランスで魚をさばくことになることになるなんて思ってもなかったよ!」

 

 

その時彼女は、「あやが羨ましい」と言った。

 

え?なんでだろう。

 

要は、彼女は何をしても達成感を感じないんだという。

なぜなら、私にできないことはない。と思っているから。

だから同じ状況で「鯖」を渡されたら「初めてだったとしても、できることが前提で取り組むからあやみたく達成感を感じられずに終わってしまうと思う。」と。

 

おー。

そんな人種がこの世にいたのか!と衝撃を受けた。

確かに、彼女は高校、有名国立大、大学院を主席で入学、卒業なんてことを人生でしているタイプ。

 

全部できることが前提。って、そんなこと私は今までの人生で考えたこともなかったのだ。

 

「え、じゃあさ、コンペに出すときとかも、賞取るのが当たり前でやってるの?」

「そりゃそうだよー」

 

なんと、カルチャーショックを同郷の人に異国で受けた。

 

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でも、このことがさらにきっかけとなり、私の意識は徐々に変わっていった。

 

 

そしてそんなある日、アパレルの経営をしている人にこんなことを言われる。

 

「君は、ベルギーのアントワープという町は知ってるかい?あそこには世界一の学校があるから、受けてみれば?」

 

 

アントワープは、以前リヨンにいた時に、ロンドンの友達に会いに行った際に、ユーロライン(欧州バス)でベルギーに行き観光した場所。

ファッションをやってる人なら誰でも知っているファッションの聖地である。

 

 

そこには、世界的に有名なデザイナーを多く輩出している王立の美大があるのだ。

(あのゴッホもかつて3ヶ月だけ他の科に通ったとされている伝統的な学校なのだ)

そしてそこの学校のモード科は、もうファッションをやってる人なら頂点のごとく思ってるような神学校。

 

その時友人と旅行した時に「こんな所に住みたいね~。」と言っていたが、私とは縁があるとも思ってもなく、ましてや住むことなんて微塵も考えたことがなかった。

 

この人は、何、頭のおかしなことを言っているのだろう???

 

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私は、アントワープなんて、雲の上の存在だと思っていたし、まったく自分とは無関係の世界だと思っていた。

そう、思い込んでいたのだ。

 

この時はすでに2004年の5月くらいであり、受験は終わっているだろう。と思って言ったら「まだきっとやってるよ。」との返事。とりあえず近くのインターネットカフェで調べてみたら、入学試験7月。

 

 

そこで早速情報集めにアントワープのその学校に行ってみた。

パリからアントワープへは、パリの北駅から出ているタリス(ドイツまで繋がってる新幹線)に乗れば、2時間で着く距離。

願書のことなどを聞き、提出締切が近いことを知り、私は急いで3日間だけ日本に帰り高校卒業証明書とか、その他モロモロを用意した。

 

フランスに来てから増えていた体重は、この願書の準備をしている間の2週間で6キロ以上も落ち、元の体重に戻った。

 

試験当日を迎え、靴以外をデッサンしたことのない私は、何もわからず、黒鉛筆3本で会場へ向かった。

試験は2日間に及んだ。

 

 

もちろん、結果は落ちた。しかし、なぜか私は悔しい気持ちでいっぱいだった。

 

 

私はこの時、人生で初めて「悔しい」という気持ちを持った

そして、今までになかったこんな感情も出てきた。

 

「絶対に、受かりたい。」

 

 

そう思った私は、親に電話をし、美術のファンデーションスクール(予備校)に通いたい旨を伝える。もう一度今度は、きちんと準備した状態でチャレンジしたい。と思ったのだ。もしかしたら、雲の上の存在をも、現実になるかもしれない。

 

 

 

そして早速パリ市内ある、美術の予備校に私は通い始めた。

 

 

 

つづく。。

hisamatsuaya.hatenablog.jp

 

 

 

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