あゝ、愛しきわが人生

自分の人生が心底愛おしいと思えたら、この上なく幸せだ。そんな人生を愛するヒントを書き綴る。そして人生を楽しくしたい人に贈る。めんどくさいのはヤメ!何でも面白がって笑ってやろう!時々婚活応援も!

【久松あやができるまで】短大生編・衝撃的な人々・W美編

私の交友関係は、同じ短大で一緒だった子。

中高一緒で上京してきた子。

その他に、東京で出会った遊び仲間。がいた。

 

その中でも、私が自分の育った環境を肯定していいんだ。と思わせてくれたのが、ある時出会ったW美である。

 

私より、1歳か2歳くらい年下だったと思う。

 彼女もまた、両親不在で、異母兄弟と都内で暮らしていた。

 いつも明るくて、前向きな彼女。

 

そんな彼女との出会いは、私が当時よく通っていたクラブでだった。

ある日そのクラブで働き始めたW美。

 このころ、私は誰にでもタメ語で話しかけていた。

 いつもの調子で、私はW美に話しかけた。

 それが、なぜかW美の心を奪ったらしく、のちのち彼女は私に「皆、私に敬語で話しかけてくるのに、タメ語で話しかけてきてくれたのはあやだけだった。」って言っていた。

どういうきっかけだったか記憶にないが、よく一緒に遊ぶようになった。

 

 

 

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彼女は、夢をたくさん持っていて、いつもなりたい未来のことを話してくれた。

いつも笑顔で、明るく物事を笑い飛ばす。

気前もよく、豪快な子だった。

実は、P子とW美も知り合いにだったか知り合いになったのか忘れたが、二人は何度かご飯を食べに行っていた。

P子との話はこちら→【久松あやができるまで】短大生編・衝撃的な人々・P子編 

 

 

 

でもある時、W美はこう私に言った。

 

「P子ちゃんは、私たちお母さんがいなくてかわいそうじゃない?っていうけど、私はそうは思わないんだよね。だって、そんなこと嘆いても仕方ないじゃん。もし両親がまともにいたら、クラブで働いたりすることとか許してもらえなかったと思うし、この環境だから、好きなことができてる。って思ってるんだ。だから、私は両親がいなくて、逆に良かったと思ってる。」

 

確かこの時、彼女は18か19歳だったと思う。

 そう思って信じて、彼女は自分の夢に向かっていた。

 そんな彼女が私にはとても輝いて見えた。

 

 

 

 

その頃、私は短大も終わり。という時で、進路に迷っていた。

 

それにひきかえ、私は何がやりたいんだろう。。海外に行きたい。という、漠然とした思いはある。でも、もう少し日本にいたい。

 私は当時、カメラが大好きだったので、カメラマンかデザイナーになりたい。と思っていた。

 しかし、皆、働いてるのに、私はまた親に頼んで専門学校に行って本当に良いのだろうか。こんなの人として許されるのだろうか。とか、当時は真剣に悩んでいた。

(今思うと、こんなことで悩むとか、悩みのうちに入らない。と思うのだが、若い頃の悩みなんてこんなものだよね。)

 

そんな時にW美に言われた。

 

「あやはさ、そういうことができる家庭環境で生まれたんだから、別にいいじゃん。もっと堂々としなよ!だって、誰も行っちゃダメなんて言ってないわけでしょ? それぞれが違う環境に生まれたんだから、その中で可能なことなら、遠慮せずにしていいと、私は思う。私があやだったら、したいようにしてると思う。」

 

私にとったら、この彼女の一言が、「自分の生まれてきた環境を受け入れる」きっかけとなったのだ。

本当に、初めて、自分の家族や生まれた環境を肯定し始めたきっかけになった。

  

いつも堂々と、夢を語るW美に刺激された私は、

 

もっと、感謝しよう。

もっと、甘えよう。

だって、私はそういう環境に生まれたんだから、恥じることなんてないんだ。

 

 

 

人生で初めてそんな風に感じた時だった。

 

 

 

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その後、私は靴の専門学校に受かって、2年間通うことになる。

 専門学校がとても忙しくて、それに加えW美も忙しくなってきて、彼女と遊ぶ機会が減っていった。

 

彼女とよく遊んでいた当時、彼女はあるバンドのバックコーラスをやっていた。

私もライブに一緒に付いて行ったりしていたものだ。

忙しくなって会わない間にそのバンドはメジャーデビューをした。

 

でもその時にはバックコーラスの姿はなかった。

  

彼女とも会わなくなってだいぶ経った頃、彼女が早朝に電話してきた。

「お父さんにお見合いで結婚させられるかも。どうしよう。」という。

でも、いつも通り笑ってたし、そんなん真剣な話じゃない。と私は思った。

内容があるんだかよく分からない、突然の早朝の電話にびっくりしたが、電話してきてくれたのが私は嬉しかった。

 

 

それが彼女と話した最後だった。

 

 

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そして時は経ち、私は就職をした。

 

私は靴の問屋に企画として入社。

その時に1ヶ月間、百貨店の靴売り場に販売研修があった。

 

その販売研修の最中に、当時W美とバックコーラスを一緒にしていた子がその売り場に偶然来たのだ。

 

「ビックリーーー!」とか言いながら話をしていた。

 

私は何気なく「W美元気?」と聞いた。

 

「あれ?あや知らないの?」と彼女。

 

「うん。全然連絡取ってないし、最後に電話がかかってきたのもだいぶ前だったし。」

 

ここでまた、とてもショックな話を耳にする。

 

 

「W美ね、薬やりすぎて、中毒になって入院したんだよ。」

 

 

え???

 

 

 

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あんなにいつも明るく笑って、いっつも周りを楽しく照らしてたような子だっただけど、本当は心の中は寂しさでいっぱいだったのか。

そういえば彼女は、こんなことも言ってた。

 

 

「あやには悲しんでくれる家族がいるけど、私にはいないんだよ。だからその分、私は好き勝手に出来るんだけどね!」

 

 

 

私の中のいろんな価値観を変えてくれた人なだけに、なんとも切ない気持ちになってしまった。

 

 

ああ、彼女の幼少期の壮絶な話とか明るく話してくれてたけど、そう振る舞うことで、保ってたんだな。

早朝の電話も、本当はどうにかして欲しかったのかもなあ。なんて後から思ったりした。

 

 

 

今頃は、彼女も、どこかで幸せに生きていることを、本当に心の底から願うことだけしか私にはできない。

 

私の環境、家族を肯定し受け入れることができたのは、彼女の何気無いひとことのおかげだと、私は本当に思っている。

 

 

当時も、今も、私は彼女に何もしてあげられなかった。

書いてる今も、自分の無力さをすごく感じる。

 

 

でも、だからこそ私は、自分の人生を歩むことで、自分と家族を愛することで、私の人生をやり遂げたい。

 

 

続きはこちら↓

hisamatsuaya.hatenablog.jp

 

 

 

以前までの話はこちら↓

久松あやができるまで【幼少期編】

久松あやができるまで【小学生編】 

久松あやができるまで【小学生後編】

久松あやができるまで【中学生編】

久松あやができるまで【高校生1年生編】

久松あやができるまで【高校生2年生・留学先決定編!】

久松あやができるまで【高校生・デンマーク編】

久松あやができるまで【高校生・留年編】

久松あやができるまで【短大生編】

【久松あやができるまで】短大生編・衝撃的な人々・P子編 

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