読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あゝ、愛しきわが人生

自分の人生が心底愛おしいと思えたら、この上なく幸せだ。そんな人生を愛するヒントを書き綴る。そして人生を楽しくしたい人に贈る。めんどくさいのはヤメ!何でも面白がって笑ってやろう!時々婚活応援も!

【久松あやができるまで】高校生2年生・留学先決定編!

久松あや・ヒストリー あや@DANMARK

前回までのお話。

久松あやができるまで【幼少期編】

久松あやができるまで【小学生編】

久松あやができるまで【小学生後編】

久松あやができるまで【中学生編】

久松あやができるまで【高校生1年生編】

 

 

 

 

ノルウェー行きが決まりそうだった、高校2年生の春。

 しかしずっと保留のままだった。

 それから、またしばらくして、電話がなった。

 

「デンマークに決まりました!」

 

家族一同、ノルウェーに行くものだとばかり思っていたので、びっくり。

この時、すでに6月だった。出発は8月。

 

結果、私は北欧諸国の中でも一応最南端に、位置する、「デンマーク」に決定。

 

Q.デンマークって何語?

A.「デンマーク語」です。

 

公用語、デンマーク語?!

 この時は辞書もなく「英語→デンマーク語」「デンマーク語→英語」のみ。

 

このころはインターネットもない時代。デンマークの情報なんて、何もない。

 

唯一父の知り合いが、

デンマークに住んでいた。ということで東京まで会いに来たりした。

 

 

デンマークの話に移る前に、ちょっと子供の頃の私で、書こうと思ったことが出てきたから、書かせてね。

 

 

これから、高校、海外の話、社会人になってからの話に行く前に、

私の小さい頃の悩み。というか、疑問を書いてみたいなと。

 

 

 

f:id:hisamatsuaya:20160620175825j:plain

 

 

私の小さい頃の悩みと疑問 

 

私は、昔から家庭環境からくる「隠して生きていく。」という状況に、すごく疑問を抱いていた。

 

祖父祖母が絶対的な存在(経済力があったので)の上に、私たちがいて、『お金に支配されている。』ことを、子供ながらに感じていた。

大人の言ってることと、やっていることの矛盾点を感じていた。

 

その中で、親の言うこと、大人の言うことに、皆のすることに疑問を抱いていた。

 

私がこの歳まで得てきた知識って、

そういったコンプレックスがあるから、それを改善しようとするために、学んできたんだと思う。

 

その中にひとつに、

特に小学生の頃は周りに友達はいるのだけどいつもどこか「馴染めない。」と思うところだったな。と思い出した。

 

f:id:hisamatsuaya:20160620180029j:plain

 

 

例えば。

 

母に聞いたのだが、

私は幼稚園の時も、休み時間になると、一目散にいなくなって、クラスが始まってから後から教室に入ってくるタイプだったらしい。

 

小学校の時もそうだった。

 

私は、小学校の頃、休み時間は、クラスの子と遊ぶより、

いつも保健室の先生のところとか、ことばの教室(特別学級)の先生のところに遊びに行っていた。

 

そして高校の時もそう。

いつも一目散に帰って行って、他校の子たちと遊んでいたり、

休み時間は自分のクラス以外の仲良い子のところに行って遊んでいた。

 

だから私の幼稚園の時の話を母から聞いた高校の時の友人は、「変わってないんだね!」って笑ってた。

 

私は無意識だったんだけど、自然とそう行動をしていた。

 

会社に勤めてからもそう。

 

終業のベルとともに一目散に帰って行って、

入社当初はそりゃお局さんたちにいろいろ言われたヨ。

 

ひとつの枠の中にいることに、恐怖心を抱いていたんだと思う。

世界が狭くなる恐怖。

この中で収まることへの恐怖。

今思うと、自分の成長が止まることへの恐怖だったんだと、思う。

(今は、同じとこにいてもいくらでも成長できる。ということを知ったから、そういうことは感じなくなったけど、ズーーットそれがある子だった。同じ状況の人とつるむことを避けて生きていた。)

 

 

 

 

f:id:hisamatsuaya:20160620180250j:plain

 

 

 

 

後は、他の子と馴染めないな。と思ってたことには、こんなこともある。

 

小学生の時に、私の家はテレビを見てはいけなかったから、クラスの子の会話についていけなかったの。

歌もドラマも、全く知らない。

 

光GENJIを知らなくて、クラス中に驚かれて、皆についていこう。と思って買った明星を翌日母に捨てられた。なんてこともあったな。

 

でも、知ってところで、「何がそんなに良いのだろう。」と知ったところでまたそこに疑問を感じていた。

何で皆これに夢中なんだ?って不思議だった。

 

(今思うと、禁止だったからこそ、興味のないように自分を背けていたのかもしれないけど。

でもそのおかげでローラースケートを知って、ローラースケートは買ってもらったのは覚えてる!)

 

どこか冷めた目で、見てたんだよね。

 

でも、その代わり映画は見てよかったから、だからいっつも映画ばかり見ていた。

映画。というと洋画だったし、だからこそ海外に行くのは当たり前。みたいな頭にもなっていったのかも。と、書いてて思った。

 

 

 

 

 

馴染めないことといえば、授業内でもそう。

 

例えば今でも記憶にすごくあるのが、

 

小学校の先生が「〇〇を取ってきて」と言って、

クラスの子全員が後ろのロッカーにものを取りに行く。とかって、あるよね。

 

私、言われた瞬間にすぐに席を立って大渋滞を起こしてるロッカーに向かってくクラスメートの気持ちがわからなかった。

 

私は、皆が取り終わって、

席に戻ろうとする頃にようやく席を立ってロッカーにものを取りに行ってたの。

だって混んでる時に行っても、立って待ってなきゃいけないし、皆変わってるなー。って当時思ってたんだよね。

 

そうすると、「久松さんはのんびりしてる。」とか言われて。

『いや、なんで一斉に向かわなきゃいけないの?』って疑問だった。

 

でも、皆と同じことをしないと、否定されるんだよね。

それでも、しなかったけど。笑

 

それに、あなたたちの言ってることが本当に「どう正しいの?」って、誰も説明をしてくれる人は当時はいなかった。

「子供だからわからないのよ。」って片付けられて終わり。

 

 

 

 

いつもそんな疑問ばかり抱いていたから、

16歳でいきなり北欧の国に行けたことは今思っても、とてもラッキーだったと思う。

 

 

そしてね、この16歳の時に、私の世界が大きく変わった。

 

f:id:hisamatsuaya:20160620180527j:plain

 

全てにホント逆の国、自由の国:デンマーク。

 

日本で「ダメ」と言われてきたことが、国をあげて、OK!

 

最初は、驚きしかなかったけど、この時にやっと

私の長年、抱いいてきた疑問の謎が解けた!と感じた。

 

「自分の感覚しか信じない。」

 

「この世の良し悪しは、私が決めていいんだ。」

 

この時、私は16歳と半年。

 

 

デンマークの人口、実に500万人。

 当時の通っていた日本での高校:生徒数1300人

 私が1年間住むことになったファミリーが住んでいた村は、総人口2000人だった。

 

村中が日本人が来てる。ということを知っている。

 そんな本当に異国の地、自由の国に、1993年~1994年まで住むことになった。

 

 

 

 

 

続き→ 【高校生・デンマーク編】 - あゝ、愛しきわが人生

 

 

 

久松あやの記事はリンク、シェア、一切自由です。