あゝ、愛しきわが人生

自分の人生が心底愛おしいと思えたら、この上なく幸せだ。何でも面白がって笑ってやろうぜ!

私が起業塾に入ろうと思ったきっかけ

こんな感じも可愛いですよね~。本当にまだ手に入れてないものを考える時間は、至福の時です。



別にそんなこと知りたいかわからないけど、
書いてみることにします。


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私は、婚活を通して、「人生って思った通りになるんだ。」ってことを、学びました。


主人に出会って思いました。


本当に思い描いていた通りの人で、そんなタイプに好かれることはないだろうとずっと思っていた私。


私の固定概念を良い意味で壊してくれた出来事が、主人と真剣交際すること、結婚することでした。



「結婚相手はこんな人がいい!」と思っていても、「そんな人が自分を好きなるわけないだろうな。」って


思ったりしませんか?


まさに私にとったら主人てそんなタイプだったんです。(友人も未だに奇跡というw)




婚活をした時に、私は初めての概念に触れました。


それが引き寄せの法則だったり、どんどん想像しなさい!ってことだったり、


「人は現実にできないことは想像すら出来ない。」ってことだったり。


昔から、祖母や母が、「思ってればその通りになる。」とはよく言われてたんですが、


今思えばそういうことだったんだな。と。





私は、今までの人生好き勝手に生きてきました。


しかし、頭の中では「あーだこーだ」と思っても、

どこかで「でも私には無理。」と思うことが本当に多かった。


もっと自分は素晴らしい、できる人間なんじゃないか!と思う反面、


現実の自分を見て、「こんな私なんて。。」の繰り返しの思考。






私が、初めて努力すればできないことはないんだ。と知ったのは、


ヨーロッパにいる時でした。


当時、パリに語学留学で住んでいて、私はどこかで研修で働けないかと探していました。


私は26歳の時に靴のデザイナーとして日本で働いていたのをやめ渡仏しました。


それから1年後、知り合いに、「せっかくヨーロッパにいるんだから、あの学校に行って勉強すれば?」とふと言われました。


その学校とは、ファッション界では世界3大校と呼ばれる学校の内の一つでした。


もちろん、前に旅行で見に行ったこともある憧れの土地。


ファッション業界の人なら誰でも一度は憧れる超有名校でした。


でも私は、そんなの自分には無縁の世界だと思っていて、その学校に行く。というアイディアさえありませんでした。


でも、一度言われたら興味を持ち、調べてみたら、ちょうど受験のエントリーが1ヶ月後。


急いで日本に帰って、書類をと過去の作品を揃え、受験に挑みました。


それまで渡仏後に6キロくらい増えてしまった体重が、2週間で元に戻った、いやそれ以上に痩せました。


そして、何も基礎を知らない私は鉛筆3本でデッサン試験に挑むという結果、不合格。。。



その時に、何もしてないのに、なぜか、「悔しい。」と思い、


翌年私は、10代に混じって、パリで美術の予備校に通いました。



そこでの1年は、本当に自分でも「成長期」と思う一年で、本当に学ぶことに無我夢中でした。


なりたかった自分の姿に近づいている幸福感でいっぱいでした。


1年間、ほとんど寝ずに、本当に絵ばっかり、美術にばかり没頭していました。


最後の頃は、手を酷使しすぎて、お箸も持てなくなるほどでした。




私は、それまで、本当に日本で成績が悪かったんですね。


覚えて勉強しようと思えなかった。


行きたいと思う学校すらなかった。


どれも価値があるようにすら、見えなかったんです。


勉強の何が楽しいのか、なんで必要なのか、本当にわからなかった。


でも、初めてこの時に、本当に自分が伸びてくのを感じたんです。


と同時に、

私は学校の勉強は得意じゃなかったけど、それは私の分野じゃなかったからなんだな。と実感したんです。


私の生きるべきところではなかったんだな。って。



そして、もちろん翌年には、念願の美大のファッション学科に受かりました。


私もやろうと思えばできるんだ。そう感じた瞬間でした。


もう本当に嬉しくて、私の人生は、これで変わる!と思ったものです。


日本にいた友人たちもすごく驚いていました。


でも、結局私は、そこで留年までして数年通ったあと、ドロップアウトをしてしまいます。


今思うと、「絶対に卒業しなきゃ!」というプレッシャーと、

「自分にはできない。」って気持ちに押しつぶされ、

自分を信じてあげることすらしていませんでした。


デザイナーとかビックメゾンとか、それが現実になる世界にいるのに、


まだどこか遠くの世界のようで、自分が大成功している姿が想像ができませんでした。


同級生たちは次々に果敢にビックメゾンの門を叩き、研修したり、

そのまま席が空いて学校をやめてデザイナー職に就いたり。


20代の頃、ファッション通信でしか見たことなかったようなメゾンで、

当時の同級生たちは今でも大活躍しています。

中には同じくドロップアウトしたのに、今ではパリコレに自分のショーをしてる友人も出てくるくらい。


でも、私は、何もしなかった。


そういうところで働く、自分がデザイナーとして活躍するということをなりたいと思っていたはずなのに、

挑戦すらしなかった。


それに、想像すること自体もしていなかったし、想像すらできなかったんです。

あの人たちにはできても、私には無理。

もう、そんな考えしかありませんでした。

ビジョンも描く。なんて概念もこのころの私にはありませんでした。

そして、どんなにいい環境にいようとも、もちろん行動するのは私です。

明確な将来のビジョンがなかった私は、

ただ目の前のことをこなすことに疲れ、

そしていつしかこなすこともできなくなり、

気がついたら、ものすごく落ちこぼれの生徒になっていました。


自分で限界を勝手に決め、自分の可能性に蓋をした私には、もうそこでやっていく力がありませんでした。


だから、留年までしたにもかかわらず、ある年の前期の審査を終えた後に、やめる決意をしました。


そして、突然日本に帰る決断をしました。

両親は何も言いませんでした。

6年も海外にいて、私、何やってるんだろう。

その時、32歳。

これからどうなっちゃうんだろう。

でも考えてもわからないから、考えない。

そんな状態のまま、ちょうど今頃の季節に、私は帰国しました。

***


長くなりました。


これ、書いちゃったけど、どうやって、いつ終わるんだろ 笑


私の欠点は、この時から変わらず、この計画性のなさです 笑