ちょっぴり長文です。時間のあるときに読んでくださいね。
「いや~、この人のこんなところがちょっとね。」
「なんか、◯◯なのが微妙じゃない?」
「どーしても、あそこが許せないのよ!」
なんて、些細な理由がお断りにつながる人、いますか?
わかります。
私も今よりちょっぴり若かりし日々、
「かっこいいけど、あの襟足のカットがいけてないからな。」とか平気で言ってるくらい、細かなことに目がいって、粗探ししてた時期がありました。
今思えば私自身、なんぼのものだ。って話です。
おすぎとピーコか私か、ってくらい、人に厳しかったかもしれません。
これって今思うと、
私の思う理想の「イケてる」自分でいたい、と思う反面、
自分の中の理想に反した「イケてない」部分を認められなかった。
認めたくなかった。
そして、自分の中の帳消しにしようとしているマイナス要素がある人が許せなくて、それが、人への厳しい目、批判となって、考えに現れていたのかな、と。
自分のいい面だけ、ポジティブなところだけで生きようとすると、
結果、それを人にも求めてしまうから、厳しく批判的に人を見てしまうのかな?と。
自分が見ないようにしているマイナス部分を人の中に見てしまう。
自分が頑張って、なかったことにしようとしてるのに!
だから、その人が嫌になる。
そして気づいたら、お断りの理由を見つける達人へとなっていってしまうのかな。と。
で、今の私は、あんまり人にとやかく思いません。
そこでなんでだろうって考えてみました。
それは、
イケてない自分。できない自分、落ち込む自分、失敗する自分、
自分のネガティブな部分もきちんと受け入れて、それも含めて「私自身」なんだと認めているからなのかな。と。
欠点は欠点のまま、そこら辺に放置。
よくなる日が来るかもね、くらいで、優しく見守っています。笑
その上で、良い面を伸ばす方に力を注いでるつもりです。
だから、人にネガティブな部分があっても、そこまで、以前ほどは気にならない。(もちろん気になるときはあります。でも極力見ないようにします。)
なんなら、私もそれ持ってますよー!わかるわかるーって。
私には、自分の容姿を責めていた時代がありました。
容姿に対して、すごくコンプレックスを持っていた。
足が太い、顔も大きい、ウェストも太い。なんで私は観月ありさみたいな体型に産まれなかったんだーーーー!なんで中谷美紀みたいな顔に産まれなかったんだー!って、って本気で思ったこともありましたよ?
だから、人の容姿も気になるし、批判的になる。
その代わり、どうしたらスタイルがよく見えるか、イケて見えるか、メイク本も読み漁って、化粧品を買っては片っ端から試してた。
ダイエットは趣味なんじゃないかというくらい、様々なことをしていました。
でも、今は容姿に対してそこまでこだわらなくなってきました。(もちろん意識はして綺麗にしているつもりではいますよ。)
年齢的にかつてよりはたるんできているはずなのに、これも私の体だし、これはこれでいいのかな。と思えるようになってきて。
ちょっとくらいウェスト太くたって、足が長いって言われるからいいか。
ちょっとくらいふくらはぎが太くたって、均等に筋肉がついてるからいいか。
髪の毛短くすれば、顔が小さく見えるし、それでもいいか。
指が太くても、ゴツい大ぶりの指輪が似合うし、かっこよくていいか。って。
目を大きく見せるためにアイラインがっつり引かなくても、目が見えてるしいいか。って。
こう思い始めたら、なぜか人からスタイルがいい、とか、足が綺麗、だとか、目が大きいとか、コンプレックスだったはずの部分を褒められるようになったんです。
更に「このままでもいいか。」って自分を思えるようになると、不思議と人に対しても同じような目で見られるようになるんです。
そして、以前は批判的に見ていたことも、
今は、「ここが素敵!」という方に、目の行き場も変わったんです。
だから、自分が人に対して批判的だな、すぐ粗探ししちゃうな、って方は、
まずは、自分の中の「認めたくない部分」を認めてあげることからしてみては?
そして、その部分も含めて自分を認めてみる。
嫌な部分をきちんと受け止める。
完璧じゃない自分も含めて可愛がってみる。
そして、他の人に褒められたことのある部分を思い出して、伸ばしてみる!
自分の嫌いな部分の存在を認めた暁には、愛される自分、自分のことを好きになれる自分へと変化していきますよ。
女性はもとより、人間としての魅力が増してくると思うのです。
そして、結果それが、結婚する自分へとなっていくんだと思います。
欠点も含めてマルッと生きて行っちゃえ!そんなあなたでも人はあなたを愛しますよ!
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