あゝ、愛しきわが人生

自分の人生が心底愛おしいと思えたら、この上なく幸せだ。何でも面白がって笑ってやろうぜ!

私の願いを叶えてくれるもの

本当は9月じゃなく今すぐ旅行に行きたい

本当はバレンシアガのバックよりシャネルのバックが欲しい

本当は〇〇に行きたかった

本当は浅漬けよりぬか漬けが食べたい

本当はそれに行くのだるい

本当はこっちのお店が良かった

本当は今日ブログが書きたかった

本当は昨日告知してイベントやりたかった

本当はゆっくりお風呂に入りたかった。

本当はコーヒーが飲みたかった、、、

 

 

エトセトラ、、

 

 

 

 

日常の中で出てくるたくさんの「本当は」

 

しかし私たちは「でも」

という言葉で、すべての願いをかき消してしまう。

 

 

本当は9月じゃなく今すぐ旅行に行きたい

「でも」まだ授乳中だから一人で旅行に行けない

 

本当はバレンシアガのバックよりシャネルのバックが欲しい

「でも」高いから今すぐ買えない

 

本当は〇〇に行きたかった

「でも」今日はもう時間がない

 

 

しかも、瞬殺で、気がつかないレベルでその声をかき消してしまう。

 

 

 

 

 

しかし、よ~く考えてみると、私の願いを叶えてくれるのは、「私」しかいないのだよね。

どこかに行くのも、何かを食べるのも。何かをするのも、

 

結局は私たちが自分で決定をし、自分の体で動くしかないのだから。

 

「でも」の後にくる理由を盾に「しない」ことを決定して、そして「しない」という行為を実行しているだけに過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月の初めに、2016年に継続コンサルを3ヶ月間受けてくれていた方とご飯を食べた。

とても楽しい時間だった。

大好きな話をたくさんして、彼女の幸せそうな顔が見れて、

可愛い赤ちゃんにも会えて、私もとっても幸せだと思った。

 

 

 

 

 

今の私があるのは、小さな願いをコツコツと叶えていった自分がいるからだ。

 

本当はブログがやりたい。

本当はお茶会やってみたい。

本当は個別コンサルとかやってみたい。

本当は継続コースとかやってみたい。

 

 

やるときはめちゃくちゃ勇気がいったけど、そうやって少しずつ私が私の願いを叶えていったからこそ、ある情景なんだ。

 

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(めっちゃ分かりにくいけど、彼女も6カ月の赤ちゃんを抱っこ中)

 

 

彼女だってそうだ。

コツコツと自分の願いを叶えていったから今があるのだ。

 

 

 

でもこう言うとこんな声が聞こえてくるかもしれない。

 

 

「本当は結婚したくても、相手ありきのことなのでこればっかりは。。」

 

 

 

そのあなたの大きな願いを叶えるために、

まず日常の些細な願いを叶えるのが先だ。

 

 

 

なんだか今日も満たされない。

なんか虚しい。

あの人は楽しそうでいいな。

 

 

 

なんて日常で思ってしまうことがあるとしたらそれは、

あなたの小さな小さな、一見とるに足らないような些細な願いを あなたが叶えてあげていないから。

 

 

小さな願いこそ叶えてあげるんだ。

そして願いを叶えてあげる「癖」をつけるんだ。

 

 

それが大小関係なく、あなたの願いを叶えてくれる。

 

 

私はそう信じて、今日は早起きして「ブログを書きたい」という私の願いを叶えてあげているよ。